COLUMN

コラム

「心・技・体」と言う言葉がある。もともと柔道からはじまったと聞いている。柔道競技では「心・技・体」の三つが整っていなければ本当の意味での「強く」にはなれないと。オリンピック、パラリンピックが終わり、多くの競技を通じて、この「心・技・体」と言う言葉の持つ意味を考えさせられた。そして、人間が本来持ち合わせている未知の可能性は運動競技だけに止まらず、この言葉に総称されるのではないかと感じてならない。ひたむきに自分と向き合い戦い、そして相手と戦う。これはスポーツだけではなく一般の生活すべてに共通するものだと思う。
私は今の子どもたちに「心を磨く、技を磨く、そして体を鍛える」ことを実践して欲しいと思い始めた。運動をやれと言っているわけではない。
「心を磨くとは、自分というものをしっかり見つめ、いつも相手のことを慮り(おもんばかり)思いやりを持って生きていくこと。」
「技を磨くとは、どのようにしたら起こり来る問題を一番自分にとって自分らしくその解決方法を見出していけるかを考えること。」
そして「体を鍛えるとは読んで字の如し、先の『心と技を磨く』を実践するには頑丈な体でなければ続けられない。」
難しく考えることはない、「いつも思いやりを持ち、来る問題を解決して行き、それにへこたれない体を持つ」ただそれだけである。

しかし、現実の学校教育ではどうだろうか。いじめは解消されているだろうか。不登校児童は減少しているだろうか。もし、「心・技・体」の「心」が育まれていればなくなっているはずである。
授業はどうだろうか。問題解決型授業と言うより、回答を出すためだけの技法教育になってないだろうか。答えのある問題しか対応できていないのではないか。「心・技・体」の「技」が備わっていれば考える力が育まれて来ていたはず。
学校が終われば、塾だ、習い事だと子どもたちは公園や広場で遊ぶ時間もない。昔に子どもは遊びを通して身体を鍛えて来た、それもない。週2時間の学校の体育の時間だけでは無理がある。
学校の先生の問題ではない。日本の教育の問題なのである。戦後の画一化された平等教育が金太郎飴のような子どもを作るシステムとなってしまった。いま求められている世界に通用する人財(人材)は金太郎飴ではない。個性豊かな人財が世界を動かしている。その為にも子どもたちのため「心・技・体」を実践できる教育環境に変えてあげたいものである。

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