COLUMN

コラム

2021.11.25

勉強の出来る子・出来ない子、頭の良い子・悪い子 その2

情報を通して、その内容を理解するために人は頭の中で絵を描いていると書いた。その描き方には大いに個人差がある。それは想像出来る力がどれだけあるかであろう。想像出来る力をどれだけ育んで来たかであろう。それはちょうど「連想クイズ」に似ている。3つの単語を言ってそれが何かを当てる。例えば「三つ目、道路、3色」と問えばすぐに「信号」と答えが出るか出ないかだろう。言葉や映像で聞いたもの見たものの情報を頭で思い浮かべることが出来るか否かであろう。

昔、数百メートル近くに住む友人がいた。近くなのによく車で我が家を訪ねて来た。ある休日、私と妻が出かけている間に彼が訪ねて来たと息子たちから報告を受けた。「おじさんは歩いて来た?車で来た?」すると長男は「そんなのわからない。」と答えた。しかし、次男は「車で来た。」と答えた。「なんでわかったの?」と聞くと次男は「手に車のキーを持っていたから。」と答えた。この例が私が言う情報を想像して頭の中に絵にして持つと言うことなのである。情報をそのまま捉えるなら、文字だけで済む。しかし、生きた情報にするには得た情報を文字だけに留めず想像し、絵を描けなければならない。
この「想像し絵を描く」、これが勉強の出来不出来、頭の良し悪しに大きく関わってくるのだと思う。

親や教師の会話の中で頭が良い子と言う言葉がよく出る。この場合ほぼ学校の勉強が出来る子のことを指している。しかしである。勉強が出来るから頭が良いわけではない。勉強が出来なくても頭の良い子は大勢いる。むしろ、この子たちのような子どもの方が社会に出て役に立っている。社会では頭の良い子の方が勉強の出来る子よりも重宝がられ出世している。頭の良い子は小さいころからしっかりと「想像し絵を描く」ことが出来ているからである。もちろん勉強の出来る子の方が頭の良い子の確率は高いと思うが、決してイコールではない。
では、どうしたらそのような「想像し絵を描ける」子どもに育てられるのであろうか。それは答えのあるものの答えを出させるのでなく、答えのないものへの疑問を常に持たせる教育が必要なのである。「なぜ、なんで、どうして?」を繰り返し思い考えさせる教育。育む側はその疑問に100%答えるのではなく、常に方向性を照らし繰り返し、子どもたちの好奇心を育む必要性があるのだと思う。

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