先日京都に仕事で行った折、新幹線のホームで修学旅行らしき中学生を見かけた。鞄のタグや制服などから東京の中学生であることがわかった。カラフルな出立ちの外国人客が多い中、黒ずくめの子どもたちの学制服姿に少し違和感を覚えた。なぜ旅行なのに制服なのか。普段着で良いのではないかと。
そう言えば、だいぶ昔になるが私の修学旅行先も京都だったことを思い出した。しかし、「ちょっと待てよ。」が頭によぎった。「半世紀も前の修学旅行が京都だったのに、今も京都なのか。」と。
学習指導要領に修学旅行は、「特別活動」(学校行事)の一つと位置づけられ、修学旅行を含む「遠足・集団宿泊的行事」は「見聞を広め、自然や文化に親しむとともに、集団生活や公衆道徳などについて望ましい体験を積む活動」として明記されている。しかし、前々からあまり明確ではない位置付けで全体がボヤッとしていると私は思っていた。せっかく学校の仲間と宿泊も含め長い時間一緒に行動できるのであれば、もっと実利のある活動の方が良いのではないだろうか。京都や奈良、日光など歴史を尋ねて観光をすることも良いと思うが、発想が昭和すぎると思う。今の小・中学生は20年前、30年前の子どもが持っていた情報量とは比較にはならない量を得ている。ネットサーフィンでいくらでも事前に情報を得ることなど簡単にできる。これからは自分たちの未来はどうなっていくのか、どうしたらいいのかを実体験でき、考えさせる修学旅行にしてはどうだろうか。勿論、義務教育である以上、修学旅行費用は国の全額負担が前提である。
私の提案するテーマは、これからの子どもたちへの4大テーマ「地球」「テクノロジー」「平和」「グローバルスタンダード」である。そして体験型学習ができ、考えさせられる修学旅行である。
例えば「地球」がテーマなら、北海道の広大な自然の中で再生可能エネルギーや持続可能な農業について体験を交えて学ぶのはどうだろう。また、未来「テクノロジー」はどうなって行くのかを体験させるのであれば、筑波宇宙センターや日本科学未来館などがある。見学だけでなく、そこの研究者との交流を設けることで、将来の進路を考えるきっかけにしてもらうこともできる。「平和」の大切さを実感させるならば、広島・長崎・沖縄ばかりではなく、知覧特攻平和会館などもある。戦争の悲惨さだけでなく、極限状況における人間の尊厳や、命の尊さについて深く考察する機会となるだろう。そして「グローバルスタンダード」を体験させるのであれば、多様な文化が共存する多民族国家シンガポールで、多民族社会を体験させると言うのはどうだろう。考えれば、いくらでもアイデアは浮かんでくる。教育委員会も委託された旅行会社も、お互いに楽なのか考えることもせず、過去の実績に囚われたままである。今も行き先が京都であるのは、その証しであろう。時代は早いスピードで動いている。時代に合わない修学旅行先をすぐにでもやめ、新しい旅行先として子どもたちの実になる体験型学習ができ、考えさせる場所にしてはどうだろうか。
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