COLUMN

コラム

はるか昔、文字も言葉もなかった時代、人類の情報伝達(交換)は動物とほぼ変わらないものであったであろう。やがて言葉が情報伝達の方法として人類の進化に大きく貢献して来た。そして文字の発達で、より情報伝達を早く確実に伝えることができるようになる。このことが文明や文化を大きく育てることになった。現在はどうだろう。文字や言葉だけではなく動画という伝達手段が圧倒的な速さで広がって来ている。先日Twitterというアプリが「X」というアプリに名称が変わった。その折に多くの人が「Twitterがなくなっても困らない。Twitterは文字が中心で、ぼやきのようなイメージで批判的、今はインスタ(Instagram)があるし、インスタの方が動画や写真で表現でき伝えるのに簡単。」という。またYouTubeは圧倒的に支持を得ている。これも動画が中心である。動画で伝えることで多くの人が同じものを見て同じ情報を得ることができるのである。大人から子どもまでYouTubeは新しい文化となっている。
しかし、今までのように動画で文明・文化がしっかり伝わり創り上げられて行くのだろうかという心配を私は持っている。

「人間は考える葦(あし)である。」フランスの哲学者パスカルの言葉である。水辺に群生する弱々しいススキのような「葦」にたとえ、人間は弱い面がたくさんあるが「考える」という働きがあるから偉大であると言う意味である。同じもの(動画や写真)を見ていると、大半の人間は同じ考えや思考になる。考えなくても済むのである。その方が楽である。今まで文字や言葉を通して人間は膨大な情報を交換し、文明・文化を創り上げて来た。同じ事や同じ物であってもそれぞれの目で見て、それから「考え」言葉や文字で相手に伝わるように表現して来た。それぞれの考えが複雑に絡み合い、思考でお互いを切磋琢磨して来たからこそ、これまでの文明・文化が発展して来たのではないだろうか。考えなくてよくなる事は進歩がなくなると思っている。進歩がなくなる事が全てとは言わないが、新たな文明や文化の進歩を阻害してしまうのではないだろうかと心配する。そして最近では伝達方法だけでなく、人間の替わりに伝達内容まで考えてしまうChat GTP に代表される生成AIも加わって来た。
最近電車の中やレストランなどで、子どもが携帯電話やタブレットなどで動画を見ている光景をよく見かける。親はそれを与えるだけで子どもがおとなしくなるので楽である。昔のように本を与えるような光景は皆無に見える。

同じ動画に出てくるクマは、誰が見てもまったく同じ容姿になる。しかし、文字から読み取り想像する容姿は、それぞれの子どもによって違って来る。そこに「想像」という思考が働く。これがまさしく「考える」であり、一人ひとりの個性となり、力になって行くのではないだろうか。それが新しい文明・文化を生み出す源となっていると思う。動画やChat GTPを否定している訳ではない。良いところは活かし、文字や言葉と融合して、これからの未来に向けた文明・文化に寄与できる手法を考えなければならない時代になって来たと思う。

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