COLUMN

コラム

「真面(まとも)」という言葉がある。ヨットなどでは張った帆全面に艫(とも/船の後部)から風を受ける時に使う用語である。また「順風満帆」という言葉もある。船が帆に追い風をいっぱい受けて快く進むことを言う。物事が滞りなく順調に進むことのたとえとして使われる。このコラムを書きながらふと気が付いたのだが、教育を語る上で「真面」や「順風満帆」を感じ、それを紹介できたことがない。私のぼやきばかりになってしまっているように思う。

「真面」を辞書で引くと「真っ直ぐ向かい合うこと」とある。私がコラムで毎回語っていることは「真面」であれば、すぐにできうることばかりなのに、どうしてできないのだろうかと思ってしまう。できないと言うことは「真面」でないからだと思うのである。親として、教育者として、教育関係者としていつも子どもに「真面」に接しているのだろうか。教育というものを「真面」に考えているのだろうか。できていないことばかりではないだろうか。この国の教育制度・システムの概要は世界に誇れるものであるといつも記している。しかし、制度が硬直して時代やそれに伴った文化の変化に付いて行けてないように強く感じる。
「なぜ遠い学校まで毎日通わなければならないの?」「なぜ中学になったら皆同じ制服を着るの?」「なぜ、学校に携帯電話を持って行ってはいけないの?」。子どもたちは「なぜ」がいっぱいだろう。そこに「真面」な答えを返していない。「校則だから。」「教育委員会で決められているから。」などが大半の答えなのだ。疑問に思うから子どもたちは聞くのであって、子どもたちの疑問は事象ごとに「真面」である。「真面」に対応していれば、少しずつでも変わって行けるはずである。得てして、前年踏襲主義や前例尊重主義が一番楽である。でも世の中は毎日変わっている。親、教育者、教育関係者は立ち止まったまま、今の教育環境でいいのだろうか。

『三省堂 国語辞典』が8年ぶりの改訂で、「スッチー」「テレカ」「トラバーユ」「パソコン通信」「ピッチ」「MD」「伝言ダイヤル」など、約1,100語を削除したと言う。たった8年でこの数の言葉を削除した。文字は文化そのものである。であれば、教育現場でも前年踏襲主義や前例にこだわらず、子どもたちの教育環境を新しい文化として「真面」に捉え、より良くするために行動する必要があるのではないだろうか。日本の教育現場がみんなの努力で良くなり、「日本の教育現場は順風満帆である。」という言葉をこのコラムに書き残したいものである。

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