COLUMN

コラム

2024.04.10

「必要な時間」と「時間の効率化」

ボランティア活動の会議後の話で、今どきの若者の話題が面白かった。タイムパフォーマンスが悪いからという理由で、録画したビデオや動画は倍速で見るのが当たり前のようになっているというのである。中高生でもほとんど倍速で見るようになっているという。なるほど、時間を有効に使う手段としては確かに良いのかもしれない。
話を聞きながら、10年ほど前、ホテルを借り切って400人程の大学生を沖縄に連れて行ったイベントの時のことを思い出していた。1日の予定を終えると、スタッフがホワイトボードに時間や持ち物、注意事項など翌日の予定をぎっしり書いて、メインロビーの一番見えるところに掲示していた。夕食が終わると学生たちはこの前を必然的に通ることになる。彼らは当たり前のように持っていた携帯電話をホワイトボードに向け、通りぎわに「カッシャ」と押しながら、それぞれの部屋へと消えて行った。私が見ている間で、メモ帳にホワイトボードの予定を書き留めている学生は皆無だった。この時「文化が変わった、な。」と思った。
ビデオや動画の倍速鑑賞も、この時の行動と同じだなと話を聞きながら思っていた。「時間の効率化」だけを考えると、人間が創ったインフラや技術を大いに利用し使い切れることは良いことだと思う。その部分は正しいように思える。人間が作り出す情報などは自分の思い思いに効率化を図ることで、いくらでも切り替えができるからである。
しかし、リアルな世界ではそうしたことが通じない。種やイネを蒔いて数ヶ月、1年かけて作物を作っている農家の仕事、山から大木を伐採して住宅用の板へと加工し、それを数ヶ月かけて作る建築の仕事。遠洋に出かけ、半年以上も海の上で漁をしている漁師の仕事、大型トラックで大量の荷物を高速道路で運ぶ運送の仕事など、どれをとってもリアルな社会では倍速で効率化を図ることができない。どれもその仕事に見合う「必要な時間」が存在するのである。
稲作をビデオの倍速で見て農業の勉強をしたとしよう。しかし、ここではその季節の暑さや寒さ、除去しなければならない雑草の生える速さを実感することはできないだろう。実際に倍速で農作業の動画を見た人間が「時間の効率」を測って農業ができるだろうか。できないだろう。

今の情報化社会は、私たちの想像を大きく上回り進化・拡大している。それも早いスピードを伴って。しかし、私たちはリアルの世界の中で生きている。そのリアルな世界の上に情報化社会は存在し成り立っているはずである。限りある時間、それを大切にすることは良いことだろう。しかし、私にはリアルな社会に欠かせない「必要な時間」と情報化社会での中の「時間の効率化」がどうしてもリンクできない。リアルな世界では「必要な時間」を効率化することはできない、でも、情報社会での「時間の効率化」は頭を使えばいくらでもできる。
「効率化」という言葉が、蔓延してきている今の世の中、「効率化」という言葉が何か「正義」を意味しているようにしか、私には聞こえてこない。大切なのは物事の「効率化」より、人間が関わらなくてはできないリアルな行動に関わる「必要な時間」なのではないだろうか。この両面を、どのような形でこれから育っていく子どもたちに教えて行けば良いのだろうか。

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