COLUMN

コラム

少し前まで、ほとんどの情報源はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌とメディア4媒体が一般的であった。もちろん子どもの世界では、これらの媒体を意識して情報を得るのはごく少数であっただろう。子どもたちは家族や友だちを通して情報がじんわりと口コミで伝わって来ていたものである。それも「時間差を伴って」が普通であった。
情報は早いほど、より量が多いほどその価値が高い。昔の子どもと今の子どもの情報量と伝達スピードはどれほど違うのであろうか。驚くほどその違いは大きいと感じている。大袈裟かもしれないが、昔の子どもの情報量が1とすれば、今の子どもの情報量はその100倍ぐらいあるのではないかと思う。
現代社会は、意識していなくても情報が子どもたちの周りに氾濫している。そして、その情報の伝わり方も昔と比べれば数十倍もの速さで伝わって来ている。その牽引役が社会的なインターネット環境の普及だろう。「今」の情報以外、価値を見出していない。自分の興味がある動画や静止画などの情報を、SNSなどを通じて自分なりの情報源としてしっかり活用しているのである。
追い討ちをかけるように全国の公立の小・中学校の児童・生徒には1人1台のパソコンが貸与された。また、塾や習い事が多くなった小学校の中高学年や中学生に、携帯電話を持たせるのが当たり前の社会になってきている。今までSNSの活用を知らなかった子どもも、これらの環境によって自分の興味ある情報を積極的に取り込み始めた。
最近の子どもたちは、あまりテレビを見なくなってきたと言う。一方的に送られて来る情報には昔ほど興味を示さないのである。プッシュされる情報より、プルする情報として自分なりの情報プライオリティーが出来上がってきているのである。

「わからないことはすぐパソコン(ネット)に聞く。」と子どもたちは言う。今まで親・兄弟や先生に投げかけていた疑問や質問の答えを、パソコンに求めていると言う。
現代の子どもたちは、その柔軟な頭で、飛び抜けて驚くほど検索結果が出し易い「キーワード」を即座に入力できる能力を持っているのである。どこで習得したのか、大人には出来ない恐ろしい技術(思考)である。

学校現場では、先生方がやっとネットを駆使した授業をし始めたばかりである。この先、授業の形態が徐々にではあるが、変わっていかざるを得なくなってくるであろう。それも急がなくてはならない。
「もうそんな事、知っているよ。」「先生の言ってることはもう古い。」など言葉に出さずとも、子どもたちはそう思うことが多くなってくるであろう。もうすでにそうなっているようにも思う。だから教える先生方も「Big Dataに象徴される情報社会の中の教育」を意識して授業を進めなくてはならない。
現在の中学歴史教科書の多くは鎌倉幕府の成立が1192年ではなく1185年に変わっている。中学生の頃、語呂合わせで「1192(いい国作ろう鎌倉幕府)」と覚えたものだ。しかし、今の子どもたちは知っている「1185(いい箱作ろう鎌倉幕府)」の説が有力だということを。
現状のままの授業形態を続けていると、「先生を先人として尊敬し、教えを乞う。」という姿が学校現場からなくなってしまうのではないかと、このところ心配でたまらない。

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