COLUMN

コラム

東京では新学期が始まった。新1年生が学校に向かう姿を多く見る。黄色い帽子にカラダより大きいランドセルを背負って、すこし不安げな姿で登校していた。かたや新任の先生なのであろう、新しいスーツに身を包み、校門近くで新1年生を出迎えていた。こちらも笑顔ではあったが期待と不安入り混じる所作は否めなく感じた。4月は新しい年度の新入学と新学期の始まりである。親である以上、子どもの清らかな成長を願わない者はいない。保育園や幼稚園とは少し異なる教育環境、教育内容が小学校6年間で育まれていく。

「学校とは何か、教育とは何か。」明治維新以降、日本人はあって当たり前のサービスだと思っている。だから漠然としている。私は思う。「学校」とは集団生活を通して社会とその社会で知らなくてはいけないことを疑似体験させるところ。「教育」とは読んで字の如し、各教科を通して物事の摂理を教え理解させ、親の監視下外で子どもを教育という教科を通して育むことである。少し難しいかもしれない。
幼児の頃(1~2歳)、箸を持つ、コップでお水を飲む、トイレの仕方と多くのことを親は教える。でも6年はかからない。子どもの脳の発達とともに小学校就学前にはそのスピードが増して行く。親1人がマンツーマンで教えていても、その手間隙は大変なものである。しかし、親は自分の子どもだから「愛情」でなんとか克服している。保育園や幼稚園も幼児だから親に次ぐ「愛情」でなんとか克服している。
しかし、学校は違う。学校に入ると「愛情」でなんとか克服していることはかなり稀有だと思う。だが、心身の成長期にはそうしなければならない時期でもある。その期間が小学校で6年かかるのである。教育は先ほど述べたように手間隙がかかるのである。手間隙をかければかけるほど子どもには良い結果がもたらされる。そこには先生が教育者として仕事をするのか、作業をするのかに関わっている。忙しくても、毎日子どもの目を見て子どもの目線でしっかりとコミュニケーションを取り合っているか、はたまた、書類に追われ一辺倒な対応にしか終始できないでいるかによる。
以前は先生と言う職業は天職と言われ、人気職業の一つであった。しかし、今は3Kと言われ、先生を目指す学生が激減している。教育は手間隙がかかるもの。省くことが出来ないことが多々ある。3Kと手間隙どう解決していけば良いか、最近そのことが脳裏から離れない。

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