COLUMN

コラム

2020.05.18

教師と保護者の関係を見直す機会に・・・

相変わらず、新型コロナウイルス感染が止まらない。いつ終息できるかも定かではない。
3月上旬から始まった、公立学校の自宅待機と自宅学習。私立学校でも独自の感染対策をとり、やはり多くの学校で自宅待機と自宅学習が行われてから、はや2ヶ月半が経とうとしている。現在は先生方も自宅待機状態。6月1日開校を目指し準備が進められようとしている。
学校は教科を通して子ども達への教育を様々な形で育んで来た。義務教育制度が進んでいる我が国では、子どもたちは学校に行くのが当たり前。その環境があるのが当たり前と言う概念が明治時代から長い間続いて来た。しかし、この新型コロナウイルス感染騒動から、その「当たり前」が大きく崩れ、学校での授業が受けられない事がどれほど精神的にも肉体的にも、そして経済的にも負担が大きいか、それをはじめて保護者が痛感しているのではないだろうか。
子どもの責任は親にあるはず。前にもこのコラムで書いたように学校で子どもに何かあれば、些細なことまで、すぐその責任を学校に転化し、強く責任を求めてくるいわゆる モンスターペアレンツ。今、学校で自宅待機と自宅学習が続く中、その様な些細な要求に果たして正当性があったのか問うてみたい。当たり前が当たり前でなくなった時「親の責任を学校に押し付けてきた」その事をこの状況下で振り返れば、先生方や教育関係者には「日頃の感謝」と言う言葉しか出てこないのではないだろうか。

昔は先生に叱られ、体罰もあった。しかし親は先生にいつも敬意を払い、そのことにクレームをつけることもほとんどなかった。勿論、体罰はあってならない。しかし、体罰をはじめとしていつの間にか、先生の自由裁量がどんどん狭められて、管理、管理の大合唱状態になっていることに私は大きな疑問を持っている。先生の活かされるべき個性がどんどんなくなって「金太郎飴先生」を増産しているようにしか見えない。そこで習う子どもたちも「金太郎飴生徒」になってしまってきている。就職活動で面接に来る大学生と会うとそれが手に取るようにわかる。個性のない子どもの増産に繋がっている。
勿論、先生も人の子。生まれながらに先生になる素養のない先生もいるのだろう。 でも他人の子の為、仕事とは言え早朝から学校に出勤し帰宅は夜9時、10時と過酷な就労を余儀無くさせられている。今回の新型コロナウィルスでの自宅待機状態を鑑み、先生方の置かれている環境も理解し学校との関わり合いをもう一度、見直すチャンスにしてはどうだろうか。

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