COLUMN

コラム

2020.07.10

家庭教育を「期待」から「希望」へ

「鳶が鷹を生む」と言う諺がある。平凡な親からすぐれた子どもが生まれることのたとえである。鳶も鷹も同じ仲間で、姿や大きさも似ているが、鳶を平凡なものとし、鷹をすぐれたものにたとえている。多くはないだろうがこういったことも、時にはあるだろう。でも、私は稀にしかないと思っている。
どの親も自分の子どもの将来に夢をもつのは当たり前のことだと思う。しかし、子どもに対して過度な「期待」をすることは間違えであると思う。過ぎた「期待」を持つから途中で多くの子どもが潰れて行ってしまう。昔読んだヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の物語のようである。
子どもに勉強、勉強と学校以外に塾や習い事を幼い時から強いる。また、プロ野球選手やサッカー選手になれるようにと親が頑張り「期待」する。両親が子どもの頃、成績優秀、スポーツ万能なら遺伝が優先し可能性としてないとは言わない。自分の子どもの頃の成績や運動能力を振り返ってみてはどうだろうか。
「鳶が鷹を生む」ケースは一握り。それさえあるだろうかと疑問を持っている。自分たちにそれらの飛び抜けた能力がなかったにも関わらず、子どもにそれを「期待」という名のもと無意識に強いているのは間違えである。
親は子どもに対して「期待」ではなく「希望」を持って迎えるべきである。
子どものやりたいことや子どもが興味を持ったものに親としてしっかり向き合い、その環境づくりをするのが子どもに対する教育ではないのだろうか。その基本は、あてにして待ち受ける「期待」ではなく、こうあって欲しいと願う「希望」であってほしい。

ヘルマン・ヘッセ 「車輪の下」あらすじ
ハンスは田舎町で生まれ、村一番の秀才として「期待」を集め、あらゆることを我慢して勉強に励む。そして州の最難関神学校に無事合格。しかし、神学校の勉強はこれまで以上に苦しいものだった。当初ハンスは成績上位をキープし続ける。同級生のハイルナーと仲良くなったハンスはこれまでの自分の生き方に疑問を抱くようになる。徐々に成績を落としていき心身を病んだハンスは休学という形で、神学校を自主退学する。故郷に帰ったハンスに人々は「期待」外れを感じ冷たく接するようになる。そして生きる意味を見出せないまま酒に酔って川に転落死してしまう。車輪は社会の歯車を示唆している物語。

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