COLUMN

コラム

2021.12.10

「させる」から「する」指導へ

仕事柄、学校へお邪魔する機会が多くある。20~30年前とは教育環境がよい意味で大きく変わってきていることに、いつも驚いている。
まずは、ハード面である。もちろん古い校舎も多々あるが、耐震化対応もあるのだろう、多くの校舎が急ピッチで新しい校舎に建て替えられている。目立つのはバリアフリー、廊下と教室が一体となっている。綺麗なトイレや手洗場、そしてほとんどの体育館が教室のある校舎と繋がっている。冷暖房は完備され、防音設備だろうか二重の窓ガラスも多く見られた。プールは屋上にあり、子ども個人のプライバシーを守ると言うことも取り入れられている。防犯阻止の為、一般の人が校舎へ簡単に入って来ることが出来ない施錠型の正門がほとんどである。
ハード面だけではない。先生の授業の進め方などソフト面も、昔とは様変わりである。教室には、黒板とその横に大きなプロジェクターがある。先生は黒板に書いて教えると言うより、プロジェクターに写真を写し、作っていたカードを黒板に貼るなどして授業を進める。多くの子どもたちが元気よく手を上げて先生の質問に答える。昔は勉強の出来る子ばかりが手を上げていたが、今は違う。音ひとつしない静かな教室で先生が黒板に書きながら話をし、チョークの音だけが鳴り、子どもたちがノートにそれを写して行くと言うような光景は、今は皆無。音楽こそ流れていなかったが、子どもたちは自由闊達に授業を楽しんでいた。
昔と違って、授業の事前準備は大変だろうなと思う。授業を見学していると、昔は「あれやれ、これやれ」と先生がひとつひとつ指示していた。しかし、今の教室は児童が「これやるの? こうしたほうがいい」と先生に駆け寄る姿を多く見る。先生も都度、臨機応変に対処しているように見える。昔の小学校の授業が軍隊型の小学生版だとすると、今の小学生はある意味で自由、映画で見られるアメリカの大学風景の小学生版である。

時代が進み、YouTubeやLINE、メールなどから情報を得ている子どもたちが持つ情報量は半端ではない。ある一面では、先生より多くの情報を持ってしまっている。昔は先生より情報を持っている子どもはいなかった。だから「させられて」もなんら疑問は起こらなかった。しかし、多くの情報を持った子どもたちに「させる」と大きな疑問が多々起きる。だから、先生は「する」授業に代えざるを得なくなったのだと思う。もちろん国の教育方針も「自分で考える力を持つ」が優先されているから、ちょうど合っているのである。「させる」受動的授業から、「する」という能動的、現代的授業へ、見事に大きく変わって欲しいものである。

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